経営学は必要か

普通に労働力を提供する人にとって経営学は必要なのだろうか。経営といわれると大袈裟で必要ないような気がするのだが、マネジメントといわれると必要な気がする。「今日は何をしようかな」と毎日思うわけだが、その際に「今日はこれをしよう」と決定することは、マネジメントの結果であり、これがうまくできるか、できないか、によって、人生は大きく変わっていく。

「マネジメント」というと管理というイメージになり、いまひとつなので言葉を変えてみると、「豊かで楽しい人生を過ごすこと」といってもいいだろう。豊かで楽しい人生を過ごすために、時間の使い方や、何をするのかを決めて行動をするのであり、行動をコントロールするために、いろいろなことを決めるのがマネジメントだからだ。マネジメントがうまくできれば、より豊かで楽しい人生を過ごすことができるはずだし、うまくできないと、あまり楽しい時間を過ごすことができないのだ。

最近、「怒っても損」と言われ、たしかに、怒っていることは楽しいことではないので、あまり怒らないようにしているつもりなのだが、「言っていることと行動が一致しない人」や「こちらを否定する人」に対しては、どうしても納得がいかないので、戦闘モードになってしまう。「言っていることと行動が一致しない人」も、「こちらを否定する人」も、要は話が通じないわけなので、相手の価値観に照らし合わせた翻訳をして話をしないといけない。すると、こちらの負荷が異常に高くなり、その結果として、短絡的な伝え方になってしまうのだ。「こちらの話を聞いてくれませんか」のような丁寧な言い方ができなくなり、「俺の話を聞け」というぶっきらぼうな言い方になってしまい、傍目には対戦しているような状況となってしまうのだ。

ゲームとして対戦をするならかまわないが、目的がゲームを楽しむことでない場合は、こういうことが増えると、お互い大切な時間を目的外のことに費やしてしまって、無駄となってしまう。関係を持たないようにするのが一番簡単な解決策だが、そうすると、つきあい続けることができる相手というのが少なくなる方へ収束していってしまうので、戦略としてはあまり良くない。「言っていることと行動が一致しない人」や「こちらを否定する人」が身の回りの組織において重要なポジションにいる場合、こちらが孤立してしまい、下手をすると四面楚歌の状態となってしまい、これまた楽しい時間を過ごせない環境となってしまうからだ。とすると、どのように関わるのかが課題となる。この課題に対して、経営やマネジメントについて学ぶことにより、ある程度の対策はとれそうだ。学問により、原因と結果の因果関係はある程度整理できたり、実際の現象に対して分析はできるようになるからだ。

個人的には、「相手の価値観に照らし合わせた翻訳をして話をする能力」というのが、結局のところ一番必要とされる気がする。この能力が高ければ、必然的に心に余裕ができて、リラックスしたまま話ができるからだ。わざわざ戦闘モードになる必要はない。この能力を高めるのに、経営学というのは役に立つ。その世界では、いわゆる経営者の価値観や労働者の価値観というのがモデル化されているから、実際の場面では相手がそのモデルのどれに近い価値観を重視しているかをあてはめて話ができるようになり、これは翻訳速度の向上に寄与するはずだ。

「豊かで楽しい人生を過ごすには戦闘モードになる回数を減らしたいが、回数を減らすためにつきあいを狭めることはしたくない」と考えるなら、「個人との関わりにおいては、経営学はそれほど役には立たないが、組織の人との関わりにおいては、おおいに役立つ」ので必要だ。世の中では「労働者は経営のことは考えなくてもいいし、知らなくてもいい」と主張する人もいるようだが、知っておいた方が人生の貴重な時間を無駄にしなくてすむ確率が高くなるはずだ。


関連書籍:


同じカテゴリの記事: General