Killer Application

Ref:Does Linux really need a “killer app” to succeed?

In the late 1990s, we thought Linux needed a “killer app” that would make general PC users view Linux as a necessity the same way they first viewed Windows as a necessity due to Microsoft Office. However, a new direction in open source adoption seems to be emerging that might require a re-think and a change in our perspective.

この意見は面白い。同じアプリケーションを使えるのなら基本システム(OS)はWindows である必要はない。ただし、使い慣れたOSを捨ててまで他のOSへ移行することがあるのだろうか、という点に対しては依然として疑問が残る。


個人的にLinux を使おうと思い始めた理由は、もともとTeX やEmacsを使いたかったからだ。そうこうするうちに Mozillaや Acrobat ReaderなどでLinux でも殆どの作業ができるようになったので、しばらくは快適にLinux で作業をしてきた。ところが、Eclipse を使おうと思ったとたんに、安定して動作しなくて仕方がなくWindows を主に使うようになってしまった。PDA との連携もWindows の方が楽だったというのも影響している。もちろん、当時はFedora Core 1がリリースされたばかりでEUC-JPからUTF-8 への移行に伴うさまざまな文字コードの問題に悩まされるのも嫌だったというのもあった。最近、Fedora Core 3 がUTF-8 で結構まともに動作しているらしいのでEclipse がそれなりに動作するのならLinux を主な環境にしてもいいかもしれないと思い始めている。ただし、どちらを使うかは作業をする内容によって変わるので、やはりOSにとってキラーアプリというのは大きい存在なのではないだろうか。

ちょっと話が変わるが、いまはノートパソコンを主に使っていてデュアルブートするようにしている。しかし、これではOSを切り替えるためにいちいち再起動をしなければならないし、ディスク容量をそれぞれのOSへ半分しか割り当てられないため、ちょっと使いにくい。VMwareのようなものを導入すれば解決できるのだが、値段が高いのと動作がどうしても遅くなるため、なかなか使えない。ノートパソコンで着脱式のHDD を使えるようになるとうれしいのだが、持ち運んでいるときにはずれてクラッシュする危険性が高まるので出てこないだろう。現状がもっと良くなるのは、まだまだ先のことになりそうだ。

結局、コンピュータを利用する立場としてはOSは何でもいいが、とにかく自分のやりたい作業をするのに適しているものが欲しい。しかし、各OS上で動作するアプリケーションにはそれぞれ長所、短所があるためどちらか一方という使い方は難しい。それで両方使うことになるのだが、両方使うのは大変なので早いところ何とかならないだろうか、と他力本願モードで待っているのだ。

ちなみに、我が家ではWindows98SE, WindowsXP HE, Fedora Core 3, Mac OS X, PalmOSを使っています。携帯電話はTRONかもしれないけどよく知らない。これだけOSがあると本当にさっぱりわからなくなります。

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