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コンテンツ立国を阻むITツールの不在」という記事を読んだ。ビジネス化に成功しているハリウッドと対照させて議論されている。

知的財産戦略本部が内閣官房に設置されて久しい。そこでは、アニメやマンガ、ゲームといった日本がまだ比較的競争優位を持っていると信じられている領域について議論されてきた。しかしそれらのコンテンツは、中身そのものは日本で作られたものであっても、制作環境の中で用いられているITツールのほとんどは日本以外で開発された製品なのだ。しかもその制作環境のIT化自体も遅れている。このような状況下では、本質的な競争優位を維持できると考えること自体が土台無理だということがわかってくる。コンテンツだけを議論するのではなく、その産業を取り巻く状況そのものからボトムアップを図る必要があるのだ。

もう少し論点を明らかにすると、もっとわかりやすくなるのではないだろうか。論点を明確にするために、質と量という観点を導入してみよう。現在の日本で議論されているのは、本質的な課題である「質の向上と維持」だが、この記事ではもう1つの量の方に着目をしていて、「大量に生産できるようになれば、中には質の高いものもでてくるはずだが、それに関する議論が足りない」ということを指摘している。ざっくばらんに言うと、「まずは普及しないと発展しない」ということだ。たとえば、野球界などでは質の向上のためには全国高校野球大会を開催しているが、量の拡大のためには少年野球教室へプロ選手が参加して裾野を広げるための努力をしていたりする。これと同じように考えることが必要なのである。

「大量に生産できる」のキーとなる点は、「制作者(x)の増加」、「作品(y)のコピー(z)が簡単で低コストで可能」ということになる。xyzが世の中に出回る作品の数になるので、これらはお互いに正比例の関係にある。このうち、使い易く低コストのツールが出現することによってxにも少しは影響があるだろうが、ツールが大きく影響してくるのはyとzの部分であろう。zは作品をデジタル化できればコピー機能で実現できてしまうので、現時点で大きな影響となり得るのは、デジタル化にあたってのコストと容易性の点である。直感的には映像作品をDVDフォーマットなどへ変換するのは一般にも普及していることなので、デジタル化は容易だといってもかまわないだろう。コストはオリジナルデータが何かによって大きな差がありそうだ。つまり、yが何かが問題になってくる。yが最初からデジタルデータとして作成されていればzのコピーコストは低くて済むだろうが、アナログデータとして作成されていると専用のハードウェアとソフトウェアを余計に用意しなければならない分、コストが高くなる。そうすると、yは最初からデジタルデータとして作成するのが良いということになるのだが、そのためのツールが外国製のものしかない点に対して森祐氏は警鐘を鳴らしている。

コンテンツ業界においてもdigital divideが発生しているのは確かである。映画界における格差が一番目立つだろうから、日本の映画界に適したツール開発は確かに必要だろう。しかし、ここで「にわとりが先か、卵が先か」の問題が発生する。ハリウッドではビジネス的に成功して、すでに良好な循環が発生しているから良いのだが、日本ではそうではない。ツール開発のためには費用が掛かるため、これを捻出するためにはヒットする作品が必要である。しかし、邦画においては世界的ヒット作品というのは、なかなか見当たらない。だが悲観することはないような気もする。デジタルデータが基本であるゲーム業界においては、日本は良い循環を発生できているからである。おそらくアメリカはハリウッド映画制作で培った技術をゲームへ応用してくるだろうが、日本は逆のことをすれば対抗できるはずである。この橋渡しがうまくできるかどうかが、課題となるのではないだろうか。

ちなみに、自分は外国製のツールを使用すること自体に対しては反対しない。あるものを使わない理由はないからだ。ただし、外国製のツールによる作品制作では、日本人に馴染むプロセスを適用しにくい場合があるだろう。そこを補完するツールを自作することには賛成だ。補完するツールを充実させていったら、結果的に全部自作になってしまったというのが、いろいろな意味で一番無駄がないのではないだろうか。

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