Internet note

Ref: インターネットのある世界のノート

僕もeラーニングを研究対象としているので,色々と考えるわけだけど,今,この分野で欠けていて,しかも学習に必要なものは,”ノート”だと思う.もちろん,”教材”は質・量の両面からの発展が望ましいし,それを用いてクラス運営する場合は”教師”の育成も大事だろう.でも,肝心の自分の知識を収束・発展と言う,ある意味では逆の活動を支える便利な”ノート”が見当たらない.自ら意欲的に学ぼうと言う人にとって,大事なのは便利な”ノート”機能だと思う.

ノートは確かにあれば楽しいとは思うのだが、まともな文章を書ける学生が少ない時点で、どれくらいの意味があるのだろうか、というのは感じる。また、講義を受けている最中に、新しいアイデアがでてくるというのは殆どないのだ。

何か物事を考えるというのには、やはり独りで考えて集中する時間が必要であり、それは講義中ではないと思う。講義はすでにある程度明らかになっている事柄を効率よく吸収するために行われているのであって、なかなか議論の場とはならないのだ。議論を深め、新しい知見を創発するような場所とするためには、参加する人たちがそれ相応の知識をもち、自分の意見を表現できる状況になっていないといけない。専門家が集まる研究会でも、なかなか濃い議論というのはできないものなのに、普通の講義でそんな状況を作り出すことはできるのだろうか?

実際のところ、デザインパターンのあるひとつのパターンについて1時間調査する時間を確保し全学生にまとめさせ、その後に1つのグループに発表をさせて説明をさせた後に、そのパターンについて学生全員で議論するようなことを試しているが、うまくいかない。そもそも書籍に書いてある内容を理解できていないのに、それを認識できていないのではないか、と思うことがある。つまり、自分は勉強して完全に理解したから何も疑問には思わない、となってしまっている。そこで、ちょっと疑問を投げかけてやるのだが、まともに答えることが出来ない。

ということで講義では無理が多いかと、卒業研究用にブログスペースを用意して日々の研究成果を記録してみるようにいってみるのだが、これもうまくいかない。基本的に文章がかけないので、つまらなくなってやめてしまうのだ。書けないなら書けないなりに継続ぐらいはしてほしいものなのだが、強制してよいものができるわけがないので、今はあきらめている。いくらアイデアがあっても、それを表現できなければ意味がない。そして、それはノートが手元にないから書けない、ということではなくて、表現をする術を知らないから書けないのだ。

とはいえ、参照元の管理人が考えるノートは、もし実現するなら欲しい。アイデアを書ける、板書まる写しでないノートをとれる人はとても少ないと思うが、そういう人がぜひ欲しいと思うようなインターネットノートをぜひ作ってもらいたいと期待して、記念トラックバックをしておく。

また駄文を書いてしまった気がする X(

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